私は何をやっても怒られて、何をやっても注意される。

さらにやらなくてもまた怒られる。

一体何をすれば正解なのかと考えるようになった。

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田舎で育った私は、都会に憧れを抱いていた。インターネットが今ほど発達しておらず、主な情報源はテレビや雑誌だった。画面や紙面にうつるのは、田舎の町には絶対にない素敵なカフェ、華やかな洋服を身にまとうおしゃれな人たちだ。それら全てをキラキラした目で眺めていた。

私はそんな憧れの気持ちとともによく絵を描いていた。

「高校を卒業したら、田舎を出よう。デザイナーになろう」

田舎の町は好きではなかった。それに絵を描くことにはちょっと自信があった。自分でもやっていけると思った。私は親の反対を押し切り、京都のデザイン専門学校へ進学した。

デザイン専門学校は、全国各地からデザイナーになることを夢見て何人もの人たちが集まる場所だ。みな当たり前に就職を目的として学びに来ていた。私なんかより絵の上手な人がわんさかいた。

ただ田舎を出たいという目的と、絵が得意だっただけで入学したものだから、同じタイミングで入学した同級生たちとの意識の差は歴然だった。

パソコンを触ったことのなかった私は、「グラフィック?Web??CG???」とどれもこれも初めてでとまどっていた。それに比べて周りの子たちは就職という目標がはっきりとしている分、吸収も早く、仕上げる技術もどんどん上達していった。

当時の私は何の目標もなかった。ただ親のスネをかじり、アルバイトもせずに一人暮らしまでさせてもらっていた。

それまでの私は、絵が上手い自分を好きだったし自信があった。けれど外に出てみたら、私よりすごい人が山ほどいることを知った。井の中の蛙だった自分をリアルに実感させられることとなり、「私って、何なんだろう?」「何がしたくてここに来たのだろう?」と、途方に暮れた。

私は完全に自信を失ってしまった。

私はさっそく夢にやぶれた。

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就職先は決まらず2年間の都会生活はあっけなく終わった。私は再び田舎へ戻っていった。

情けなかった。自分の情けなさに自己嫌悪して、家に閉じこもる日々だった。しかし、地元の人だけの繋がりしかない閉鎖的な田舎が心の底から嫌いだった。半年ほど引きこもっていたが、この生活から抜け出そうと決心した。私は行動に出た。

まずは車が必要だ。

田舎暮らしに欠かせないものNo. 1は、車である。地元の同級生たちは高校3年生になるとこぞって免許を取りに行く。田舎を出るから免許なんて必要ないと思っていた私は、20歳で免許センターに通うことになった。学生でもなく社会人でもない身分の私はお金はなかったが時間だけはたっぷりとあった。だから最短コースで免許を取得できた。

次はお金を稼がなければならない。毎週末、新聞折り込みの求人広告をチェックした。そしてある日、「未経験OK!薬局医療事務で働きませんか?」という文字に目が止まった。

当時の私はなぜ薬局に惹かれたのだろう。祖父がお薬関係の仕事をしていたから、何か近しいものを感じたのかもしれない。

折り込み広告を手に持ちながらすぐに面接のための準備をした。

調剤薬局で医療事務のバイトをするとき私は20歳だった。

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私の勤めた先は、とても厳しく忙しかった。

1日に受付する処方箋の枚数は、夏ならば70枚前後。風邪が大流行する冬ともなると一気に増えて200枚近くになる。この処方箋についてほぼ1人で、「受付」「会計入力」「レジ対応」をこなさなくてはならない。

さらに私の勤務先はドラッグストア併設店だったので売り場の商品のことも聞かれたら対応しないといけなかった。落ち着く暇が一切なかった。座っている時間がないのでスタッフ用の椅子もなく、つねに立ちっぱなしだった。

どれだけクタクタでも近くの病院が診察を終えるまでは処方箋が山のように来るからお昼休憩もとれない。つねに患者様やお客様の視線も感じるため、水分すらとることができなかった。

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職場で無視され続ける日々

大変なのは仕事だけではなかった。
薬局には店舗を仕切る存在である管理薬剤師というポジションがあった。私の職場の管理薬剤師は26歳の女性だった。

名前は中本さんという。この人が、かなりキツイ女性だったのだ。彼女は私に特別に冷たかった。

「今もあの人がいたらな」

私が入る前にいた医療事務の人と比べるように、事あるごとにそう呟やかれた。

辞めた事務の人は中本さんととても仲が良かったそうだ。それに仕事のできる人だったから、中本さんは何から何まで前任の人にお願いしていたらしい。

しかし、仕事の良くできる事務の代わりに入ってきたのが、20歳の小娘である私だった。中本さんは私の顔を見てすぐに気が合わないと思ったようだ。

質問に行くと、忙しいからアッチ行ってという風に手のひらでホイホイと払われる。もちろん、何もわからない私はどうして良いのかわからず、おろおろとしてしまう。するとその様子にまた腹を立て、「入力して!」と中本さんに怒られるが、入力方法がわからないからどうしようもない。そうこうするうち、「もう、どいて!」と中本さんが入力をする。

「テープのりありますか?」と聞くと、ポイッと放り投げられたものが飛んでくるし、ペンも、クリップも、直接手に渡されない。

お昼休憩が一緒になると、中本さんは食べ物を口のなかにぎゅーっと詰め込んで休憩室から逃げるように出て行ってしまう。話しかけても無視される。

中本さんとの関係は、日に日に険悪になった。

無視というものがどれほど人を傷つけ、そして孤独にするか身にしみて感じた。言葉のない暴力は本当につらいと思った。

私は中本さんのことが苦手になった。教えて下さいとも素直に言いづらくなり、出来るだけ関わりたくないと距離をとるようになってしまった。

終わらない先輩からのいじめ

中本さんのほかに、やっかいな女性がもう1人いた。山田さんという女性で、私より半年ほど早くパートで入った人だ。

山田さんは糖尿病を患っており、つねにパソコン横にはオロナミンCが常備されていた。低血糖を起こした時用だと本人から聞かされた。インスリン注射器も職場の冷蔵庫に保管されていた。

山田さんの指導法は「私の指示に従ってくれたら大丈夫だから黙ってて」というトップダウンなやり方だった。そのわりにまだ半年ほどの経験しかないので、私が質問をしてもほとんど答えられない。

それでも、山田さんは私を自分の思い通りに動かしたがった。シフトも自分が先に決めた。「どうしてこの仕事できてないの?」「それは触らないでって言ったじゃない!」が口癖だった。自分のやりたくない仕事や面倒なことは全て私にふってくるのだった。

私は何をやっても怒られて、何をやっても注意される。さらにやらなくてもまた怒られる。一体何をすれば正解なのかと考えるようになった。

「辞めようかな」自然とこの言葉が口をついて出てくるまで、そう時間はかからなかった。

初めてのクレーム

気づくと私は自然に笑えなくなっていた。

人間関係に疲れ切ってしまっていたのだ。中本さんと山田さんの冷たい態度に私の心は温度をなくしてしまっていた。朝食も手につかない。夜も眠れない。そうしているうちに自然と表情も消えてしまっていた。

ある時、患者さまからクレームがあったと中本さんから聞かされた。原因は私だった。

「あの子の態度は一体何なの?あれで受付してるわけ?!辞めさせて!」

クレームの内容は、その患者さまの処方箋を私が両手ではなく片手で受け取ったことが失礼な態度だとみなされたことだった。笑顔はなく無表情で愛想がない、とも言われた。どのくらいでお薬が準備できるのか説明もなく、20分以上も待たされたことにもお怒りだったらしい。

中本さんから「店長に謝っておいてよね」といつも通り冷たく突き放すように言われた私は、初めてのクレームと、店長への申し訳なさで、バックヤードで思わず泣いてしまった。

私はどうしたらいいのかわからなかった。八方塞がりだった。自分の心を無理矢理に支えながら、死んだような目で仕事をこなしていくので精一杯だった。

逃げ道もなかった。この閉鎖的な田舎から出ていくためにはお金が必要だったし、ここで折れてしまってもう一度家に引きこもったら、もう戻ってこれない気がしていた。

その上でクレームというトラブルまで起こしてしまった。店長にも迷惑をかけてしまった。

どうしようもなかった。体全体から血の気が引いていくのを感じた。

店長の言葉

後日このクレームに対応したのは店長の結城さんだった。

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店長のもとへ謝りに行くと、

「いいよいいよ、俺が怒られたらそれで済む話だから。気にするな!」

その言葉を聞いて私はぽろぽろと泣いてしまった。

私は自分のことだけに精一杯になってしまっていたことにやっと気づいた。自分のミスなのに、自分のせいで全く関係のない店長が怒られてしまった。それでも店長は気にしなくて良いと言ってくれた。

私が同じ立場だったら人のミスを責めず、代わりに謝ることができるのだろうか。その人を守るために頭を下げることができるだろうか。自問自答する中、私ができることは一体何なのか考えた。働くこととは一体何なのか真剣に考えるようになった。

もう一度前を向く

先輩に辻さんと言う薬剤師がいた。

辻さんはおおらかな人だった。ここを辞めて大学病院でもっと薬を勉強したいという将来の夢を持っていた。

山田さんから私が色々と言われるたびに辻さんは、「大丈夫?」と声をかけてくれた。

「今は悔しいと思うけど、真面目に仕事をこつこつやって、実力が身に付いたら、向こうは何も言わなくなるよ。だから折れずにこつこつ努力してみて」

仕事のアドバイスもたくさんくれた。

私を見てくれていたのは店長だけではなかった。

私は辻さんや店長の励ましの言葉のおかげで少しずつ仕事ができるようになっていった。女性二人のいじわるな態度も私が黙々と仕事をこなしていくことで次第に目立たなくなっていった。

しばらくしてから、彼女たちは自信がない人間しかターゲットにできないということがわかった。結局弱い誰かに八つ当たりをしたいだけだったのだ。

私はもう何も言ってこない二人を眺めながら、こんな臆病な人間にはならないようにしようと心に誓った。

私は自分のできることを一つ一つを着実にこなして、できるだけうつむかずに仕事をしていこうと心に決めた。そうやって仕事をしていくことによって、次第に「働くことが好き」と言えるようになってきた。

私はもう一度前を向けるようになっていた。

今思い返すと、苦しい時にアドバイスをくれた辻さんがいたからこそ、私はよそ見せず、そして途中リタイアもすることなく仕事を頑張ることができた。辻さんのはげましの言葉があったから頑張ることができた。そして私のやった仕事を店長が評価してくれた。辻さんと店長は折れそうになっていた私を支えてくれた存在だった。

この2人が私にくれたいくつもの助け舟やアドバイスは今でも私の胸に強く残っている。社会をろくに知らず、生意気な部分もたくさんある私にも関わらずサポートしてくれた。

この2人と出会い支えられて社会という場でがむしゃらになれたからこそ、「働くことが好き」という気持ちをつかめたのだと思う。

尊敬する人を手本とし、嫌な人は反面教師に

私は今年35歳になった。この歳になっても正直なところ生きる意味はまだ見つかっていない。けれど、仕事が好きだという気持ちは今もはっきりと感じる。

1年前からフリーのライターとして働き始めた。1度は諦めたクリエイティブの世界だ。でも心のどこかでずっとしこりのように残っていた。いくつからでも始められることを自分の人生を使って証明してみたかった。

正直、うまくいかないことばかりで挫けそうになる。自分には向いていないから医療事務に戻ろうかと思うことだってしょっちゅうある。

けれど、あの時のアルバイトの経験が、今の自分を支えて励ましてくれている。

乗り越えられたのは、私のことをちゃんと見ていてくれた辻さんや店長がいたからだ。あの時頑張れたのだから、自分はきっと大丈夫だと思う。

18歳の時、教室の窓の外を眺めていたらふと「生きる意味がわからない」と心に浮かんだ。

大人から見れば、18歳なんて子供で、夢や希望をたっぷり抱くことのできる年齢でもあるし、失敗しても、まだ何も知らないものね、で許してもらえる年齢だ。まだまだ人生これからなはず。

けれど、当時の私は生きることに真面目過ぎた。目の前のことだけに必死で生きていた。だから、生きることに意味を見出そうだなんて無茶なことをしていた。どんな物事も真正面から受け止めてしまう性格だった。

そんな私だったから社会に放り出されると途端にたくさん傷ついて、悩み、涙することになったのだと思う。

今の自分があの頃の自分に伝えたいのは、「生きることに意味なんて必要ない。もっと気楽にいれば良い」ということ。ちょっとくらい気を抜いたっていいじゃないか。

しっかり前を向いて生きていれば見てくれている人はきっといる。店長や辻さんがいたように。だからそんなに思い詰めなくてもいい。

自分を支えてくれている全てへ感謝の気持ちを忘れずにこれからも頑張っていこうと思う。

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